読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

吉田修一の「怒り」を観てきました

アクセス解析を見ると、「急に普通の映画感想記事とか書きやがって!いいから風俗、合コンの話はよ」的な声も聞えてきそうですが、まぁええやないかい。

 

※原作は未読のため、映画の感想になります。真犯人含めネタバレがありますので、未読未視聴の方はあらかじめ了承ください。また、以下は全て筆者の個人的な意見、感想です。

 

■「怒り」という作品
この作品のテーマは「信じること」です。東京・千葉・沖縄に現れる、殺人事件の犯人によく似た三人の素性不明の男たち。その男たちに翻弄されながら、関わる人々の心と心が深く結ばれたり、実は結ばれていなかったりする、そんなお話です。
煽り文句では「愛する人を信じられるか―」といった言い回しがされておりますが、自分としては、より誤解なく伝わるであろう「信じる」の一言が本作のテーマであると感じます。
三つの舞台で、それぞれの「信頼関係」が描かれていきます。親子の信頼、恋人同士の信頼、そして、友情における信頼(沖縄パートを田中と辰哉の友情、と考えますが、適切ではないかもしれません)。それぞれの信頼関係が築かれ、揺らぎ、そして深まりもすれば、薄れる瞬間もある。一つの殺人事件というサスペンスをベースに三つの物語が絡み合い、重層的な構成をなしながらも、一本のストーリーとして緊張感を保ちながら進行するのが、本作の持ち味です。信頼関係の変化をきっかけに、臨界点を超えて湧き出る登場人物の魂の叫び、涙、そして怒りに心が揺さぶられます。ハンカチ、忘れないでください。坂本隆一の音楽も非常にいい演出で盛り上げてくれます。

 

■あらすじ的な何か
千葉では、親子の信頼が主軸に描かれます。父である洋平が、知恵遅れとも言える娘を、根本的にはどこか信じていなかった自分に気づき、深く悔やみます。ようやく出会えたパートナーである田代を信じきることができなかった娘の愛子は、警察に通報したことを悔やみます。
東京では、同性愛という形で、恋人同士の信頼関係が描かれます(妻夫木聡と綾乃剛の濡れ場はすごかったです…)。ゲイのパートナーとなった直人が、女に会っていたことに対して優馬が不信感を抱きます。直人の失踪と殺人犯の情報に揺さぶられ、優馬は逃げてしまいますが、直人の死と、身の潔白を知り、深い悲しみにただただ取り残されてしまいます。

沖縄では、米兵にレイプされ傷ついた泉を想う辰哉と、バックパッカーの田中が信頼関係を結びますが、それはやがて田中の猟奇性の結露と共に崩れてゆきます。
千葉・東京を舞台としたストーリー進行では、誰かを信じ続けることの難しさと、愛するが故に、自分のわがままを押し付けてしまうジレンマを、これでもかというほど見せつけられ、胸が痛みます。皆さんもそういうことないでしょうか?登場人物に比べれば些細な問題ですが、自分にも思い当たる節があり、共感する部分も多くありました。

特に印象に残ったセリフは「大事なものは減っていくんだってことに、この年になってようやく気づいた」という直人が残した言葉です。28歳という若さにも関わらず、施設で育ち、同性愛者である彼には、「大切なもの」を増やしていくこと自体が、難しかったのでしょう(決して侮蔑の意味ではありません)。自分は今27歳で、まだ大切なもの、有体に言って家族や子供が増えていくのだろうと漠然と考えていただけに、重くのしかかるものがありました。

一方で、沖縄パートはやや異質で、「愛する」という表現がそぐわないのです。泉に対して辰哉は淡い恋心を抱いていますが、愛というには遠く、恋というにも淡すぎる(?)印象です。ここでは、泉というレイプにより深く傷ついた女の子が抱えてしまった心の闇を軸に、田代と辰哉がどうにもならない事実と向き合う決心をする、という形で信頼関係が結ばれてゆきます。(レイプシーンは真に迫るものがあり、正直ちょっと辛かったです。。観る人を選びますね。しかし、最後の叫びといい、広瀬すずは凄い。)
田中の行動に徐々におかしな点が現れ始め、真犯人は明らかになるものの、そこに至るまでの緊張感は凄まじく、三つの舞台をテンポよく行き来することで臨場感が失われることもなく、物語は走り切ります。

 

■どうしてこんなに感情が揺さぶられるのか?

 怒りを鑑賞された方はもれなく、様々な感情の発露を受けて疲れます。たぶんそうだと思います。しかもその疲れはちょっと普通ではない。席を立つのが辛いというか、それこそ怒りの感情が沸きもすれば、安堵したり、悲しくなったりもします。要はめったくそ感情移入してしまうということなんですが、この映画の構成の妙として、「サスペンス映画なのに、犯人と警察ではなく、事件を取り巻く周囲の人を徹底的に描く」という点があります。

吉田修一の天才性は、その「視点」なのかもしれません。鑑賞者の誰もが体験したことのある、もしくは追体験のできる物語性が、この映画にはあります。共感、没入感といった言葉では表現しきれないほどの「距離感の近さ」が、俳優陣の熱のこもった演技を介して、意識すらできないレベルで突きつけられてる、そんな危うさが、観る者の心を揺さぶります。

決して楽しい映画ではありませんが、映画の有用性をストーリーの追体験による感情の豊穣だとするのであれば、これほど優れた映画はないと思えるほどです。

 

■総評
とにかく飽きることなく鑑賞することができましたし、テーマとしての問いかけも幅広いため、多くの方が楽しめると感じました。一方で、非常にセンスティブな題材を扱っている部分もあり、映像の過激さも相まって、観る人を選ぶ映画だとも思います。逆に観たい!という人も多いでしょうが。
あとうはもうほんと役者陣が凄いです(The 小並感)。中でも特筆すべきは犯人の猟奇性を演じきった森山未來と、辰哉を演じた佐久本宝という新人さんです。この豪華なキャスト陣に埋もれることなく確かな存在感を放っていました。オーディションで監督に見い出されたそうですね。。いやぁ、良かった。

 

怒り(上) (中公文庫)

怒り(上) (中公文庫)

 
怒り(下) (中公文庫)

怒り(下) (中公文庫)

 

 

若手サラリーマンが過労に倒れて思ったこと

正確には倒れるまではいってないのですが…。

 

原因は組織としてのリソース不足、自己のスキル不足による長時間勤務、抱えた案件の重さでした。

 

症状は動悸や手の震え、極度の眠気や突然の冷や汗などで、倒れたことのある人は「あーあるある」って感じじゃないでしょうか。自律神経、きちゃってますみたいな。

 

強制的に1週間の休みを手に入れ、あれこれ頭をかけめぐったことを簡単に備忘録として残しときます。

 

■自分にとって本当に大事なことって?

仕事ですか?家族ですか?趣味ですか?全部ですか?それとも何か夢がありますか?優先順位はつけられますか?それらは同時に成り立ちますか?成り立たないなら何を捨てますか?何を選びますか?選ぶ勇気はありますか?周りを気にしますか?自分を自分で幸せにできると思っていますか?自分らしく生きるっていうのはどういうことですか?自分らしく生きたら幸せですか?

 

正直分かりませんでした。

 

早く家庭を作りたいとも思います。

もっと自分のやりたい仕事をすべき、探すべきとも思います。

夢なんて大それたものはないですが、自分が好きなものを好きだと言いながら生きたいと思いました。それは僕にとってマンガでありアニメであり映画であり小説であり音楽であり、歌でした。全ては自分を作り育て、時には励まし時には叱り、今の自分を自分たらしめてくれたもので、そこには感謝しかありません。しかし、それらは「誰もが好きなもの」でした。それらに関わることで生きていくこと、生計を立てていこうとするほどの覚悟は、僕にはありませんでした。

 

今僕が勤めている会社は、有体に言って大企業です。業務も社会的意義のあるものです。

でもそれで得をしたことと言えば、自分の小さな自尊心を満たすことだけだったのかもしれません。中には辞めていく同期もいましたし、今となれば彼らの気持ちも理解できます。それでも、僕はここから出て行くのは躊躇われるのです。それが何故かを考えましたが、積極的に留まる理由が、お金や社会的地位、今後家庭を築く上で安定を求めるが故の必要性と言った、「本当に自分がやりたいこと」には直接的には関係しない事柄でした。

 

この中途半端さを受け止めながら、また摩耗していくだけの日々に戻っていくのかと思うと、正直吐き気がします。しかしながら、多くの人がそうやってがんばって生きているし、自分が置かれた状況を鑑みるに、相当に恵まれているのは間違いありません。

 

「自分を幸せにできるのは自分だけ」

 

とても希望に溢れた、強い言葉です。その通りだと思いますし、あらゆる場面で自らの意志や考えを表明し続けることで人生はいかようにも舵を切れるのでしょう。学ぶに遅すぎることはなく、人の可能性は無限大です。

 

誰もがそれを信念として持ち、実行に移し、自ら道を切り開いていったら、それでも世の中は回るんでしょうか?たぶん回らないのでしょう。きっと破綻します。だれもが思い通りになんて生きられない、それが真理です。割りを食う人というのは、少なからず存在するはずです。そういう意味で、僕は人生を諦めているのかもしれません。

 

ただ、その真理は僕自身の諦めを肯定する理由にはならないことも、僕はまた知っているのです。

 

このクソみたいな達観ぶりを捨てたい、と思っています。

 

ここからは、前向きに考えていきます。

 

もっと周囲に興味を持って、人とのつながりを大切に、楽しく生きていくことが、僕の目標なんだと思います。たぶん。その彩りとして、様々な物語や音楽を楽しむ余裕があれば、なおいいです。

 

どんな物語でも「面白さ」の根幹には人と人との関わり、思想があります。

 

人生は面白いものであるべきです。

僕が休んでいたこの1週間で思ったことは「人生を面白くする」のは、「自分を幸せにする」よりちょっとカンタンそう、ということです。

 

面白さを感じるのは、知らない人に会うことかもしれません、知らない場所に行くことかもしれないですし、知らない知識を得ることかもしれません。日々の生活に、何かしらの「ゆらぎ」を加えるだけで、新しい何かが見えてくるかもしれません。

毎朝の通勤で通る道をちょっと変えてみるのもいいですし、普段自分が言わないだろうなぁと思ってるような意見をわざと言ってみるのもいいかもしれません。嫌いな人の良いところを無理やり3つあげてみるゲームとかもいいかもしれないですね。食事も「ここは入らねぇなぁ」というお店でとってみて、話のネタにしてはどうでしょう。友達の趣味の集まりに参加させてもらうのもいいかもしれませんね。理由はなんでもいいんです。友達の友達って見てみたくないですか?マンガ喫茶に2時間籠って、普段読まない雑誌に手を伸ばしてみるのもいいですね。少し背伸びをしたお店を見つけて予約しちゃったり、話題のスポットで行ってみちゃったり、どっぷりミーハーになるのも案外楽しいのではないでしょうか。普段見ないTVをみてもいいですし、頭を空っぽにするために瞑想するのもいいでしょう。ちょっと遠出して秘湯に入ったり、滝に打たれてみるのもいいですし、それが無理なら近くの銭湯にいくか、プールで泳いでみても気持ちよさそうです。こんな人たちが来てるんだ~というどうでもいい気づきがきっとあります。それ以外にも何か浮かんでくるかもしれませんね。

 

ゆらぎを作るのはあなた自身です。そのゆらぎの中で、目につくモノ・人・場所がきっとあります。一歩進んで、それを集めてみてはどうでしょう?例えば、何度も目にする人に出会ったら、その人の著書なのかWeb記事なのか作品なのか、関わっている仕事や出自やその人の好きなものを探ってみてはどうでしょう。

 

ゆらぎの中で見つけたものは、確かにあなた自身が選りすぐった大切なものです。意外にかんたん、そう思いませんか。それを追いかけて、誰かとシェアしたくなったらしめたものです。きっと、知っている誰かとはより楽しく、知らない人ともそれをきっかけに繋がり、楽しくなることができるでしょう。

 

たぶん、このゆらぎの話は、自分の今の仕事が自分に向いているかどうかっていう話にも使えるんだろうなと思います。

 

自分の仕事に些細な変化をもたらすことで見えてくるもの、楽しいと感じられること。もしくは、こんなことやってみたらどーだろうという、自分で仕事を変える、作り出す余地。そういうもの、ちょっともないですか?会社を変えないとダメですか?会社を変えたら解決しますか?たぶん僕は、そうじゃないと思っています。

 

という感じで、ネガティブな自分に対するアンサーを、休んだことでちょっと元気なった自分が贈ってみました。

 

なんかし、僕はとても優柔不断で面倒なのだなぁと思ったのでした。

 

P.S みんな倒れないよう気をつけてね

キャバクラにすら行ったことがない僕が、海外の風俗へ行った話

 

 

日本国内のキャバクラ、おっぱぶ、ピンサロにも行ったこともないヤツが、マカオの「サウナ」で初めて風俗を体験した話をしますので、心して聞くように。

 

今回は、女遊びとかしたことない、風俗とかピンサロとか興味はあるけどなんだかこっぱずかしくて行けない、そんな人向けに僕なりの風俗初体験を綴っていきたいと思う。
 
最近のことなのだけど、友人と香港、マカオへの旅行へ行ってきた。
きっかけはギャンブル好きの友人に誘われて、とある渋谷のゲームセンター内にあるカジノコーナー(換金はもちろんできない)へ連れて行かれたことだ。
 
そこでルーレット、ブラックジャックの面白さに気づき、本場海外で試してみたくなったのが去年のこと。
初の海外カジノはラスベガス、今年の春にはシンガポールそして最も巨額のマネーが動くとされるマカオに、次なる旅行の地として白羽の矢が立ったのが先月のことだった。
 
本題からは少しずれるが、3泊4日の香港マカオの旅では、最初の2日間、どっぷりマカオに浸かっていた。賭け金の最低レートが非常に高いのがマカオカジノの特徴で、ルーレットのディーラーがいるテーブルゲームで最も低くてチップ1枚25HKD(25香港ドル≒397円くらい、15年12月レート)からのスタートだった。ブラックジャックに至っては、富裕層向けのホテル街にあるカジノでは1ゲーム最低で300HKD(≒4770円くらい)、500〜1000HKDくらいが相場と、一般ピーポーにはべらぼうに感じるレートであった。ブラックジャックにハマっていた僕らは、なんとかマカオ半島にある1ゲーム100HKDのテーブルを見つけてプレイしたが、結果1000HKD負けこみそそくさとカジノを後にしたのだった…。
 
 
徐々に本筋に入ろう。マカオは「サウナ」と呼ばれる風俗が合法である。飛田新地が料理組合、ソープがお風呂屋さんなら、こちらは真の意味で「女の子とセックスが出来るお店」だ。
 
最もマカオで有名なサウナは、18サウナというところで、今回僕らが訪れたのもここだ。香港からマカオに入国する(国が違うことすら知らなかった!)際にはフェリーを利用するのだけれど、そのフェリー乗り場の建物内で、往復チケットとセットでサウナの利用券の購入が可能だ。
サウナには色々とコースがあるが、セックスできるのは1番高めのものなので、その辺は他のブログなり情報サイトを参照して欲しい。確か僕らは2150HKDくらいの利用券を購入した。
 
1日目は存分にカジノを楽しんだ僕らは、2日目の夜にサウナへと繰り出した。
 
さて、ここからが本番なのだが、タイトルの通り、風俗に1度も行ったことがない人、もしくは海外の風俗は未体験という方向けに、単なるマカオサウナ体験記ではなく、僕の「やっべぇぇ風俗とか初めてなんすけどぉぉ!しかも初が海外とかどゆことーー!?」的な観点を織り交ぜつつ、新たな世界に踏み出すために背中を押す意味合いで、以下率直な感想と体験を述べていきたいと思う。
 
 
 
 
 
結論:かわいい、たのしい、きもちいい、ちょーきもちいい
 
もう、ほんと、最高だった。これからいかに18サウナ、ひいては風俗体験が最高だったか述べるので、心して聞いてくれ。
 
 
1.女の子かわいすぎワロタ
女の子かわいすぎワロタ。以上です。
 
いやいや、もうちょっと詳しく語っていきましょう。ほんとね、もうね、女の子かわいすぎ。
 
まず、前提としてサウナのシステムを紹介する必要があるのだけれど、これがまた面白いのだ。
サウナに到着すると、まずロッカールームに通されて、タオル一枚すっぽんぽんになる必要がある。で、ロッカールームを通り抜けるとそこがもう大きな浴場になっており、その浴場の周りをステージにして、30分ないし1時間に1回くらいの頻度で、女の子がぞろぞろぞろぞろぞろぞろそりゃもうぞろぞろと出てくるのだ。その時間、浴場にはクラブばりの音楽が大音量で流れ、男たちは半裸で女の子たちを凝視しまくるという奇天烈ワールドがここに炸裂する。まさにショータイム!(入ってすぐシャワーで体洗う時、拭く時に小柄なあんまかわいくないおねーちゃん達が群がってくるが、基本追加で課金されるので無視した方がいい)
 
この出てくる女の子達のかわいいことかわいいこと。たぶん1番多い時で50〜70人くらいは出てきたんじゃなかろうか?彼女たちは胸に3桁の数字を携えていて、好みの子がいればこの数字をボーイさんに伝えるのだが、なんとこれが早いもの勝ち。これだ!という子がいれば、何が何でも(女の子に直接こっちきてと言ってでも)早く手をつけるのが重要なようだった。
 
最初は、風俗怖い、サウナとかなんなん…、外国だし衛生面大丈夫かよ…、など色々ネガティヴな思考になってんだけども、1回ショータイムみたら「うっひょーーー何やここーー!楽園やーーーん!!シャングリラーーン!!!」と、エセ関西人になるレベルでばりばりテンション急上昇だった。
 
DMMで満足してる諸君、ここがシャングリラじゃけん、行きんしゃい。
 
本当に強く感じたのは、かわいい子とヤりたいっていう願望と、結婚したいって願望は、別物なのかな、ということだった(急に真面目だが言ってることは下衆の極み休日課長)。
 
2.サウナという施設
基本的には上記のような感じでズンドコ節中に女の子を決めるのがマカオサウナらしい。
これはあくまで18サウナの話で風俗体験したい人への後押しではないけど、サウナ行きたい人向けに書きます。ここは飲み物と食べ物が頼み放題で、ショータイムをスルーしても、充分にリラックスした時間を過ごせる。
僕らは男3人で行ったので、あの子はどうやこの子はどうやと議論しまくり(ぶっちゃけ好みがかぶって男気じゃんけんバトルへ発展した)ながら、ショータイム自体見るのが楽しいこともあり、3回も見てしまった。
リクライニングチェアも完備していて、女の子を指名すると、どうやら一晩中泊まっていっても良いらしかった。もう1人抱きたいとなると、追加でガッツリ料金は取られるんかね。
 
3.ついに本番突入!
僕が選んだ女の子は色々カテゴリがある中で、「台式」というカテゴリの女の子だった。他には「明星=背が高くて容姿端麗」、「全能=テクニシャン?なのかな?」「日式=めっちゃ高い。日系の人はどうやら憧れの的らしい。日本人かどうかは不明」などがある。台式は言ってしまえば通常コースという感じなのだが、全然かわいいのだ!!てか別にコースごととは言え、明星でも好みじゃない人はいるし、そこはもう自分の好みに忠実になるのが正解だ。
 
3回目のショータイム、ここで決めようと僕らは腹をくくっていた。
始まる運命の時間。男たちも女の子も最も多くなる22時の頃合い。
さあ扉開いた!出てきた!この子や!へいボーイさん!!おいこっちだ聞けこのやろう!!ぐらいのスピード感で女の子を指名した。
この時点で僕は、完全に1時間前と違う自分になっていた。
 
海外旅行で得られる経験って、本当に大切だと思います。(ゲス顔で)
 
そして待機場所で待っていると、どうやら無事競り勝ったようで、部屋に行ってくれという案内があった。
 
室内で何があったかを詳細に語るのはキモいので割愛するが、部屋に来たのは先ほど僕が最もときめいた本当にかわいい女の子だった。
 
制限時間は1時間なのだが、回転が早ければ女の子の身入りも多いため、基本30分くらいで終わってしまうようだった。
 
まぁ僕はメンタリティも弱めかつ初めてだったこともあり、かなり謙虚に女の子を気遣う姿勢で臨んでみた。(とは言っても高いお金払ってるので、基本女の子任せに気持ちよくしてもらうのが良いですよ)
 
基本英語で、日本語もキモチイイとかカワイイとか簡単な言葉をは分かるようで、何歳なのー?とか少しだけ会話をした。
 
もうかわいすぎて目を見るのも恥ずかしく、男性が機能するかも怪しかったものの、こんな子にあんなことやこんなことされて機能しないわけがなかったのであった。
 
基本的な流れは以下のような感じであった。(見たくない人は飛ばしてくださいね。)
 
 
 
-------------------------------
 
 
 
シャワーで洗ってくれる→エロい下着を着てくれる→うつ伏せにされて色んな場所舐められる→仰向けにされてアソコや乳首を舐められたり→必殺アイス&ファイヤー(友人がそう言ってた技があります)→誘導されつつ挿入→体位変えて向こうが動いてくれたり→手でもやってくれたり→フィニッシュ
 
情けなくも手でイってしまったのはここだけの話である。そのせいか、ちょっと申し訳なさそうな顔をしていたが、それがまたかわいかったので満面のスマイルで「オッケーアリガトキモチイイー!」と片言気味で連呼しといた。
ていうか、やっぱり技というか、プロは本当に気持ちいいところ抑えてくるんですね…。
 
 
 
-------------------------------
 
 
 
とまあこんな感じだったのだけど、大事なのは相手のことを思いやりながらもろもろ振る舞うことだ。これが功を奏したのか分からないけれど、その結果けっこうイチャラブできた。個人的にポイントが高かったのは、部屋を出る前に情熱的なハグをしてくれたのと、基本的にはしてくれないというキスをしてくれた(ほっぺただけどね)こと。なぜかは分からないけど、これが自分的には最高だった。
 
部屋を出てからは、出口まで恋人繋ぎで手をつないで見送ってくれた。そして、風俗童貞(?)脱出の思い出は、最高のものとなったのであった。
 
4.風俗行ったことがない人へ
基本的には、興味があるなら1度行ってみることをお勧めします。風俗童貞であった僕が怖じ気ついていたポイントと、実際行って思ったことを以下列挙します。
 
・立つか心配、アソコに自信がない、体が貧相で…など自分の肉体及び精神的な問題
 特にアソコに何か問題がある場合ですが、女の子にちゃんと言えば大丈夫だと思います。ちゃんと配慮して気持ちよくしてくれますから。むしろ言わないとお互い不幸な時間になってしまいます!
その辺りをクリアできれば、向こうはプロですから、精神的な問題なんて関係ないくらい上手くやってくれるので、ただ身を任せましょう。AVだけでは物足りない人の気持ちがついに分かってしまったのでした。
 
・衛生面が気になる
女の子の方がメタクソ気にしてますから、それは杞憂です。むしろそう考えるあなたは、綺麗好きで女の子には好印象でしょう。
 
・高くない?(サウナ観点)
サウナは高いです。日本円で3万くらいしました。日本でそんだけだしたらかなりイイとこだそうで。ただ、ショータイムの経験は何物にも代えがたいとだけ行っておきます。
風俗全般の話で言えば、こういう海外旅行なり何らかの付随する目的があって、立ち寄るぐらいのスタンスが、僕は良心の呵責もあんまりなくて良いような気がします。(彼女的にはNGなんでしょうけど…)
サウナが人生経験代だと思える人は、ぜひ観光のついでに寄ってみてください。風俗自体にハマっても責任は取れませんけれども。
 
・ハマりそう?
僕はケチなので、ハマらないと思います。時間もけっこう取られますし。(風俗発体験の癖に言い切る)
なので、上記の通り「機会があれば」行ってみる、程度がちょうどよいのではないかと思います。
 
・彼女にはなんて?心境的にはどう?
彼女や奥さんがいるのにこういうとこいくのはどうなの?って思ってた節もあるんですが、宗教的にNGとかなければ行ってもいいんじゃないでしょうか(無感情に鼻くそをほじりながら)
彼女には、そういうところには行ってないと普通に言いました。
 
ただ、心のささくれが少しだけ痛みました。それだけは知っておいてください。
 
 
・・・
 
 
以上が僕の初めての風俗体験記である。何事もやはり体験してみることだ。
興味をもった健全な男子諸君は、我慢の果てに豪快なチャージショットを決めるべく、さっそくLCCのチケットを予約してくれたまえ。
完全に余談だけど、ブラックジャック楽しいよブラックジャック
 

幻想の中の伴侶と何者にもなれない僕

僕には明確な目標があった。それはこのブログの第二の趣旨であったとも言える「理想の彼女をつくること」だ。

本当に好きだった元カノに振られ、今の彼女と出会った。彼女のことは本当に好きだが、果たして「理想の彼女」なのだろうか。会うたびに幸せを感じるものの、本当にそうなのか、分からなかった。

なぜ分からないのか、それは彼女が完璧に理想の彼女ではないから?偉そうに今ままで語ってきたのだけど、僕は一つ大事なことにようやく思い至った。

理想なのかどうかは、彼女の容姿・性格・振る舞い・社会的ステータスによって決まるのでなく、「僕の気持ち」で決まるのだということに。

 

少なくとも僕は「びびっときた」人と付き合えた。それはこのご時世、本当に幸せなことだと思う。ただ、結婚について考える時、浅はかではあるが、「もっといい人はいないだろうか」という考えが頭をよぎる。

不誠実と言えば不誠実で、特段誰かにこの気持ちを理解してもらおうとは思わない。むしろ周囲の同年代男性を見渡すと、似たような考えの人が多く、年代特有の思い上がりの激しい思考であると感じる。

これは一重に、「自分にはもっと価値があるに違いない」と無意識的に考えていることの現れであり、その無根拠な自信と、無自覚なプライドが何をもたらしているかと言えば、彼女がいない時には「前向きなモチベーション」という歓迎すべき心理作用であったし、彼女ができてからは「迷いと混乱」でしかなかった。

この状況に折り合いをつけるのは、他でもない自分なのだと気づいた。いや、気づかないフリをしていた。悪いのは、『決断から逃げる弱い僕』だ。

 

それに気づいたのは、他の女性と遊んだ時のことだった。

 

こんなこと彼女には絶対に言えないが、僕は複数回、彼女以外の女性と2人で遊んだことがある。体の関係はなかったが、悪いことに変わりはない。僕は彼女がいるのに、他の女性と2人で遊んでしまう男だった。軽薄であること、女性によっては絶対に許せない振る舞いであることは承知しているが、「このままもう何もないまま結婚して一生を終えるのか?」というひどく幼稚な愚考が、僕にそうすることを許している。

 

幻想の中で僕は、とある女性と付き合ってみたら人生がもっといいものに変わるかもしれない、と考えている。幻想の中の女性は、実際に存在する人で、彼女がいなかったらアタックしていたかも知れない人だ。

 

簡単に言えば、その人のことが気になっているんだろう。彼女よりも素敵な人かも知れない。でも、こればっかりはもう、確かめることができない。今の彼女と別れない限りは。別れたとしても、その子と付き合えるかどうかは分からない。彼女より「より理想的な女性」かどうかは分からない。知るチャンスが、ない。

 

僕はその子と遊んだことはない。その子を遊びに誘うと、浮気が周知のものになるからだ。僕は恥の文化に生きているんだと、痛切に感じた。時には罪を基準に、生きていくべきだと思いながら。

 

そんな足元の覚束ない微かな期待を、確かめる勇気(敢えて勇気と言おう)さえなく、他の女性と遊ぶことでその虚無的とも言える感情に、穴埋めをしているのが今の僕の姿だ。

 

なんてカッコ悪いのだろうと思う。今の彼女を信じ切ることもできず、気になる子へ大胆に舵を切るでもなく、どうでもいい女の子と遊んでいる。それが嘘偽りない僕の姿であり、一人の弱い人間である。自分だけが特別とは思わないが、弱いのは確かだ。

 

この不甲斐なさは、とても人には言えない。言えないからこそ、このブログにしたためることで、わだかまりを発散させようとしている。

 

でも、分かってしまった。これは全て、僕の問題なのだと。この虚無感は、この憂鬱は、誰かが晴らしてくれるものではなかった。目標を失ったのではなかった。目標を信じていなかったのだ。この不安定な地面は、理想の彼女を追い求めていたあの頃と確かに地続きで、僕自身の心の反映でしかなかった。

今までの僕の経験が、頼もしい知見だ思っていた何かが、僕の心を縛っている。

 

「今の彼女、妥協した?」

 

悪魔の囁きだ。反吐がでそうだ。何様なんだろう。そんなことを思ってしまう自分が嫌いだし、明確にそうではないと言い切れない自分がもっと嫌いだ。もういい年なのに、この渇きは何だろう。これは何者にもなれない自分を認めたくない思春期・青年期のメンタリティーではないのか。

 

自分への関心、執着がもたらすものは、両刃の剣だと思う。等身大の自分を超えて何かをなそうとする原動力でもあれば、過ぎた欲求は現実と激しく乖離することの苦しみを加速させる悪魔の装置だ。40歳、不惑。果たして本当にそうなる大人がどれだけいるのか。

 

「君の人生はこんなものだよ」

 

誰かが囁いた。皆が通った、この道。それを認めたら、どうなる?たぶんきっと、そこから始まる人生があるのだ。自分ではない誰かのための。

 

僕は今まさに何者かになれない現実を突き付けられ、身動きが取れなくなっている。客観的に見れば、何も不幸せな状況じゃないのに、余計なことを考えすぎて、大切なものを失いつつある悲しい人間にしか見えないのではなかろうか。

 

これは甘えだ。

決めるのは自分だ。

どうしたら、踏み出せる?

 

今の僕なら、歯を食いしばりながら、「大人の一歩」を踏み出せそうな気がしている。

 

 

・・・

 

 

きっとこういう自分語りの激しい文章が、鼻につく頃が来るのだろうな、と思いながら、終了させていただきます。悩みは尽きないものですね。

 

俺の彼女がイエス・ウーマンな件

彼女は俺が行きたい場所や食べたいものに反対したことがない。本当にほぼない。かと言って消極的な性格というわけではなく、むしろ天真爛漫という方がしっくりくる。

たまに彼女はどこかで無理をしてるんじゃないかなって思う時があるのだけど、(そう思うのは元カノのことがあったから余計気になるというのもあるのだろうけれど)かれこれ1年以上上手くやってきているし、彼女自身いつもとても楽しそうに見えるので、問題はないのかなぁと思う。

 

僕が彼女に優しくできるのは、少なからず彼女の魅力にぞっこんだからであって、誰にでも向けられるものではない。彼女のことを常に気遣おうと思えるのは、それが彼女だからであって、他の誰にでも気を遣うわけではない。彼女の前でいつも謙虚であろうとするのは、彼女に尊敬されたいとまでは言わずとも、人格的に認められたいと願うからであって、よそでは傲慢な振る舞いをすることもある。

ただ、僕が毎週彼女に会いたいと思うのは、自分の心を最も許せる人だからというわけではない。

 

矛盾しているようで、矛盾していないと僕は思う。

つまり僕は、彼女のことを尊敬している。

 

完全に自分をさらけ出せる相手というのは、ちょっと怖い。いいところも悪いところも含めて全部好き!なんてことはきっとなくて、悪いことは悪いと認めないと、いわゆるただの「恋は盲目」だ。

だから僕は彼女の「悪い」と思うところを知っているし、知っていてなお好きだ。僕自身、自分の悪いところはいくつもあると考えている。ただ、僕は彼女に無暗に指摘したりしない。彼女もまた僕の悪いところを非難するように言うことはない。

 

(この状態がベストなものだとは思わない。なぜなら本音でケンカするということができないから。僕は本音で語るのが苦手だ。ドロドロした感情をぶつけ合った先にあるものは果たして何なのか、分からないけれども、きっと少しだけ相手を近くに感じるのだろう。考え方の相違や意見の食い違い、そのぶつかり合いで心の距離が縮まるなんて、彼氏彼女の関係は何とも不思議なものだ。ぶつかり合ったままじゃ別れるだけだけどね。)

 

とにかく、たまに彼女のことが心配になる。いい意味で彼女は迎合する。自身の我を通さない。恐らくそれが誰か一緒にいることの秘訣だと思っている。

僕は、我を通す自分が惨めで情けないと感じる瞬間がたまにある。たまにあるので、大丈夫だと思っている。なかったらきっと、本当にただの我儘だから。

彼女が僕を尊重してくれるのは、僕がまた彼女のことを尊重しているからだと、彼女が思っているからに違いない。

もし、彼女との時間の中で、僕が傲慢さを抑えることができなくなることがあれば、それは一重に

 

 

 

 

 

 

先日、電車の乗り換えでとある駅構内を歩いていたところ、元カノとすれ違った。

正確には元カノかもしれないという程度で、よく分からなかった。

僕はもしやと感じた瞬間、そちらを見ることを拒んだ。

その女性も一瞬こちらを見ていたような気もするが、直接見ていないので分からない。

とにかく分からないが、あれは彼女だった。

あの、大好きだった、彼女。

 

彼女は僕の知らない男性と歩いていたようだった。

彼女よりもずいぶん背が高く、僕よりはがっしりした男。

 

別に誰でもよかった。

 

あれは彼女だったのだろうか?

今となっては、もう分からない。

彼女だったら何だというのだ。

それも、分からない。

 

思い出すだけなら、何も悪いことはない。

ブログに書く程度なら、きっと咎められやしない。

これから先、誰と一緒にいようとも忘れないのかもしれない。

 

この感情のやり場は、たぶんどこにもない。

この感情に名前をつけようにも、どれもこれもそぐわない。

 

彼女とすれ違った駅は、僕と彼女がともに時間を過ごした、大学の駅だった。

 

いつかきっと。

 

なーんて。

 

 

結婚に悩む若者の姿をとくと見よ的な趣で心境を語るだけの話

なんというか必然というか、結局僕はまた恋愛の袋小路に嵌ってしまったようで、現在の彼女との関係を、この先を、未来を考えあぐねている。要はこいつと結婚したいのどうなのよっていう話なんだけども、それに対して答えを出せるほど自身の人間性が成熟してるとは思えず、一方でそれってこの子との結婚は考えてないだけじゃねーのっていう答えの示唆でしかないような気がして、俺の心は常にエゴとエゴの1人シーソーゲームの体を醸し出しているわけであります。

とは言ってもこの状況そんなに嫌いじゃない、っていうのが僕の本音ではありまして、今までの恋愛歴を振り返るに、時系列でみるに、人生をRPGに置き換えるに、いい具合で進捗してきてるよなーと自分自身思うわけです。ひいては客観的な脳内のポイズンベリーな住民たちとしてもそう捉えている次第です。なんかもう自分の生きざまをそれすなわちエンターテイメントとして楽しんじゃるっていう心持ちでして、実際それなりに楽しいわけで、自叙伝や伝記を残した偉人たちはさぞかし極上の娯楽として自身の物語を享受し、悦に浸っていたんだろうなぁなんて穿った見方で一人納得をしております。それすなわち自分大好きと言うこともできれば、己の痴態含めさらけ出すことを鑑みればドMであると言い換えられる気もしており、「あなたってドMだよねぇ」という投げかけに対し「え、どの辺が!?詳しく!委細をしっかりと!」と自分の恐らく社会一般的にダメであろう部分であっても興味を持たれること自体に対して異常に反応し、喜びを感じる様には、いやもうそれがそのままドMということでよろしかったでしょうか、ご注文として繰り返すのもやぶさかではない、そんな感想を自分自身抱く按配でございます。

結局今回何が言いたいのって部分に関してはもうここまで読み進めた方お察しの通り、特にそんなないんだけども、一丁前に結婚とかで悩んでるならそれって成長してる証拠なんでねーのって認識を僕自身深めたかったというか、今回の恋愛に関して、彼女の話、彼女の性格、振る舞いやそれに対する僕自身の評価があまり出てこないのにはわけがありまして、一言で言えばそういう類のことを僕に考えさせるような刺激的なタイプではないということなんです。これはもういい意味でも悪い意味でもね、って言葉がばっちり当てはまる稀有な例でございまして、よく言えば彼女は明るく前向きで、今日もハッピーだねOK♪的なローラまがいのポジティブ勢と言うこともできますし、有体に言って楽観的で思慮に欠ける部分があるんでないの、いや僕がそんなこというのおこがましいんですけどね、ぬふふってところもあるわけでして、暇さえあればネットの海に溺れているような深海魚勢の僕からすれば眩しすぎる存在なわけです。

そのあたりをどう考えるかって、僕自身の問題ではあるんですが、いわゆる親友的なポジションにいる男友達2名(高校・社会人セグメント)からは、「お前さんには合ってない」「もうちょっと選べ」など貴重なご意見を承っておりまして、その顔面にアンケートのご協力への御礼QUOカード500円分ないしピーターラビットのデザインに定評のある図書カードを叩きつけてやりたいところだったのですが、そのように1人のみならず2人から同じことを言われますと、人間の心とは風見鶏の様に傾きやすいものでして、はて何か問題があるのだろうか、いや何となく自分自身でも腑に落ちないところはあったんだけれども!と自分を客観視するキャンペーンにすぐさま突入することと相成りました。親友の合計何名以上からのご意見でそのキャンペーンが適用されるのかは人によって異なりますが、まぁ2人いれば考慮には値すると言えるでしょう。お前自身はどうしたいの、っていうツッコミに関してはここでは敢えて目をつぶりましょう。

なんとなれば、最近の僕はこんなことばかり考えているわけで、デートしている時でも何をしている時でも、彼女と一緒に過ごす時間でもそうでなくとも、ふとした瞬間に「あれ、この子でいいんだっけ」と超絶上から目線で二人の未来をウォッチングするおじさんになってしまうのです。彼女のことを考えれば、現在26歳ピチピチOL一般事務窓口系女子アフターファイブはヨガと茶道と英会話♪的な花盛りもいいとこではあるものの、あと3年、いや2年もすれば、アラサーアラサー言い出し、アラサー教の教義に従い絶対的に結婚を視野に入れた活動が活発化することが目に見えております。アラサー教については後日詳しく解説します。しねぇか。まあそこで考えねばならぬことは、もし別れるのであればうら若き乙女と言っても(多少,未だ,ギリギリ)差し支えのないこの時期に最後通告を渡すのが人情かなという気もしておりまして、社会の荒波の中で戦っていく最大の武器としての若さを、この中途半端な僕という存在によって永遠に失われてしまうのであれば、それこそ取り返しのつかないことなのであります。彼女が東京でタラレバすることになります。

そこはお互いの自己責任ということで折り合いをつけるべき点であることは重々承知しておりますが、そうは問屋が卸さねぇというのが現代社会の残酷な部分でして、酷い言い方をすれば市場価値の失われた独身アラサー女子製造機に僕がなってしまうということであり、それ以外の選択肢としては今すぐ別れるか、アラサーの彼女と結婚するかのどちらかしかないのでございまして、要はやっぱりエゴとエゴのシーソーゲームなわけです。彼女の方から別れを切り出される可能性について完全に目をつぶってるよねコイツ、過去の自分のブログ読んできたら?と仰る読者の声が聞こえた気がしたので申し上げますが、今のところ僕は多大なる柔軟性を発揮し、彼女にとって良き彼氏である自負があります。難点をあげるとすれば、ペーパードライバーであるためドライブデートができないところが挙げられますが、卓越したドライビングテクニックの習熟をクリティカルな条件として彼氏に求める女性とは残念ながらそもそもご縁はないように思いますので、まあうん大丈夫かと思います。

つきましては、今々完全に悩み悩んではいるものの、実際に彼女と会えばそれはそれは楽しく幸福で、僕の知らないところで僕のことを想ってくれる人がいる、その逆も然りで彼女の知らないところで僕が彼女を想うこともやはりいいもんだなと思うところでして、そう簡単な考えでは先のことを決められないというのが現状です。最終的に言いたいこととしては、こういう状況に陥ってるのもまたオツだよねぇ、という居酒屋でのどうでもいいオチのない話ばりの締めで今回は終わりにしたいと思います。それではご機嫌ようさようなら、さようなら。

ふがいないや?

取引先との飲み会があった。一つの長テーブルを囲める程度の人数で、自分の会社と取引先、半々くらいの按配でだった。年次は自分が一番若く、大人しく黒子に回ろうと思っていた。

 

それなりに楽しく飲んでいた。そこには部長も同席しており(そこまで珍しくないかもしれないが、ガツガツした女性の部長だ)「君の世代がどんなことを楽しいと思っているのか」「普段何を考えているのか」というようなことを僕に聞いてきた。

 

こういった場でしゃべるのはまったく得意ではなかったが、自分なりに話をしていた。そこで「この世代はちょうど結婚のするしないで悩んでたりする」というような、僕自身は一般論だと思うことを述べた。

僕自身も今の彼女と明確に結婚するかどうか、なんてすぐには答えられないと思っており、「結婚も考えるけれども、まだ分からない」と話した。

 

それに対する反応が「え、なんで?」だった。その場の全員が、だ。

 

各々こう言うのだ。「悩んでる時点でその人じゃないでしょ」「早く別れた方がいい」「時間の無駄じゃないか?」「君の意思はなんなの」「それって結婚したくないってことでしょ」などなど。

 

正直面食らった。全員がそんなことを言うのだ。

 

「悩む」ということに自分の意思は介在していないのか。いや、してるだろう。この人じゃないと!と思った人としか結婚しないでしょ、という論調だ。それはそうだが、結婚を決意するタイミングなんて、人それぞれだろう。

 

その後はさんざんだった。

 

そういうことで悩むような奴は、イマイチな奴だ、という空気がびんびん感じられるやりとりに辟易した。何を言っても「え、それであなたの意思は??」という返し。それで一盛り上がりしてる場が嫌だったが、意思表示しないのも癪だと思い「そういうふわっとした世代なんです!」と言った。

 

もうみんな「はぁ??」という反応。やっちまったと思ったけれど時すでに遅し。

 

一番年の近い同僚(これも女性、既婚でお相手は15コ年上の方)からは「そういう一括りにするのって嫌いです」など嫌悪を示され、その他は理解不能という空気。

 

「いや、そっちが聞いてきたんだろ」とは口が裂けても言えない状況で、逃げ場もないから突っ走るしかなくなり、見事にディスられまくる僕…。

 

動揺したせいで失言のオンパレードになってしまい、印象は下がる一方。取引先の初対面の人からもお前呼ばわりされる始末。二次会もあったが、とにかくもうしゃべらなかった。

 

なんとも言えない胸糞の悪さだけが残ったが、誰一人多少の共感も示さなかったのは何だったのだろう。

 

悩むということに意思は存在しないのか、悩む時間は無駄なのか。決してそうではないと思いたい。というかそもそも結婚に悩む20代半ばの奴なんて腐るほどいるだろう。

 

みんなあんたらみたいに強い人間じゃないんだよ、と捨て台詞の一つでも吐いて帰りたかったが、臆病な僕にそんなことできるはずもなかった。

 

ちなみにその場にいた人、ほぼ全てがB型のようだった。

 

なんやそれ。俺っちA型っす!