話し合うとは

もやっとした気持ちが晴れたブログを読んだ。

http://zuisho.hatenadiary.jp/entry/2013/10/04/011649

”ある日突然今までは了承してくれてたものに異議を申し立てられれば「話が違うじゃねぇかこの野郎」と思ってしまうのはもうこれは人情で、二人の考え方の摺り合わせを始めるにしてはそれはあまりにもあんまりなスタートラインだなということは誰でもちょっと考えればわかることなのです。”

もうここ。ほんとここね。

彼女との関係の急激な悪化はまさにこの表現に全て集約されてます。
以下ですます調。

僕はこの筆者さんと同じく「徹底的にすり合わせしようぜ!」系男子なわけですが、彼女さんは全然そういうの乗ってくれないというか、話を切り出すのはいつも俺で、さらに俺への不満を言うのがクッソ下手な女の子だったのです。

だから話し合いってのが全然できない状況が続いていました。俺も切り出すこと自体に疲れちゃって、「なんで俺ばっか…」と考え始めちゃったのがもう運のツキだったのかも。それでなあなあにしてきた部分が多々あって、もやもやを抱えたまま逢う日のなんと多かったことか!!

その点俺は正しかったと思うのです。「自分が正しいとか思っちゃうその自己中さが彼女を傷つけていたのよ!」とか言うフェミニストは知らんぷりします。

2人で話し合って、着地点探って、いつもより少しだけお互いを分かった気がして、絆を強めていく。そんな関係を私は常々望んでおりました。

しかし実際は、いざというときに僕がその考えを伝えようとすると、「価値観の違いだ!」「このまま一緒にいても苦しいだけ!」等々、三段論法すっ飛ばしもいいとこの極端な結論に彼女が達してしまい、振られるに至ったわけです。

話の切り出し方が非常にマズかったですし、彼女が友人と徹夜明けでローテンションだった等の状況を鑑みても、「そりゃないぜ!」と言わざるを得ない唐突な別れの宣告でした…。


…と、簡単に別れのシーンを振り返ると、まさに引用のとこなわけです!!!あーもうこれ読んで目を覚ましてほしいわ!たとえ別れるにしても、彼女はこのままじゃあかんと思う。誰とも一緒になれんのじゃないかと心配だ(余計なお世話過ぎて死にそう)