こんな夜に

冬の季節は終わりを迎え、少しずつ木々の色も鮮やかに感じられ始めた街の風景に、少しだけ安らいでいられる気がした。

 

何かが変わったかな、と思う瞬間もあれば、何も変わっていないなと思うことも多かった。そんな心の浮き沈みの中で、僕は春を迎えていた。

 

彼女の顔は今でも鮮明に思い出されるし、よく遊んだ場所を避けるように過ごしていても、街のそこかしこに彼女との思い出の残滓がちらほらしているようで、頭の中は何んにも変わっちゃいなかった。

 

僕は今でもおそらく彼女のことが好きで、結局日に何度も彼女の顔が頭をよぎるのだ。しかしそこで描かれるのは、楽しかった出来事ばかりで、別れる間際の苦しい時間のことは、無理に引っ張り出してこない限り、僕の心の中には顔を出してはこなかった。そういった意味では、もはやそれは、僕の彼女を好きな気持ちは、風化しているようにも感じられた。

 

確かに他の女の子とも遊んだ。気の合ういい子もいたし、長い目で見れば「彼女」と一緒にいるより安定した人生を歩めるんだろうな、と思える子もいた。だけどそれは僕にとって一つの可能性でしかなく、「彼女」も未だ、僕にとっての可能性だった。無数に広がる人生の選択肢の中の一つとして、終わった道のその先として、僕は彼女のことを想い考え続けているのだった。

 

「長い人生だし、縁があればまたどこかで巡り合うよね」そんな都合の良い解釈で、心もとない折れかけた枝のような希望、ひいては妄想にすがって、僕は今日を生きていた。

 

不毛だと、無意味だと思われても仕方のないことだし、恋愛では「名前を付けて保存」ではなく「上書き保存」をしろ、というのも分かる。俺だって人にはそう言ってきた。無責任なことに、その種の説教は実にたやすく口をついて出てくるのだ。他人事とはまさにこのことだ。

 

新しい恋に踏み出すのに臆病になっているのか、「彼女」に執着をしているのか、単に好みの子に出会えないのか、どれが正解なのだろう。おそらくどれも正解で、きっと全部間違ってもいるのだろう。自分のことなのに、自分のためにどうしたらいいのかなんて、結局さっぱり分からないのだ。昔からそうだった。

 

ある女性がいた。

 

「彼女」と別れてから初めて、僕の胸がときめいた女性だ。

彼女は僕よりも5つも年上で、考え方のしっかりした素敵な大人だった。

 

彼女とは何回か遊びに出かけたのだが、全て僕からの誘いだった。

この人となら楽しくやっていけるかもしれない。そう思えた。

彼女は忙しいであろうに、嫌な顔一つせず僕に付き合ってくれた。おそらく僕がときめいたのと同様、少なからず好意を抱いていてくれたのだと思う。彼女の振る舞いや言動の端々には、真剣さも感じられた。

 

そんな彼女に対して僕は最悪だった。

かわいいもんだという人もいるかもしれないが、僕は僕自身を最低だと思った。

彼女と遊んでいたのは気晴らしだった。いかがわしい行為をしていたわけではないが、そういう問題ではなかった。

初めて遊んだ時に、痛烈に実感してしまった。

絶対に「彼女」を超えられないと。

「彼女」との時間に比べれば、なんとつまらない時間なのか。

 

心は正直だったが、それだけならよかった。

僕はそれを隠した。

別に寂しかったからではない。

単純に、「最初は」良いと思ったからだ。

惰性で遊んだ。それだけだ。

惰性にも飽きた。

だからやめた。

 

 

僕は今、別の女の子と遊んでいる。

その子とはもう2人で好きなバンドのライブにも行ったし、休日の昼下がりにショッピングにも行ったし、映画も観に行った。

今度僕のお古のギターを貸して、弾き方を教えてあげる予定だ。

僕の住む近所の公園がいいかなと思っている。

 

その子とは付き合ってはいない。

想いも何も伝えてもいない。

やましいこともしていない。

 

結局は同じだ。同じなんだと思う。

「今は」良いんだろう。

 

バカみたいだろう?

たぶん、まだ、「彼女」が好きだ。