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幻想の中の伴侶と何者にもなれない僕

僕には明確な目標があった。それはこのブログの第二の趣旨であったとも言える「理想の彼女をつくること」だ。

本当に好きだった元カノに振られ、今の彼女と出会った。彼女のことは本当に好きだが、果たして「理想の彼女」なのだろうか。会うたびに幸せを感じるものの、本当にそうなのか、分からなかった。

なぜ分からないのか、それは彼女が完璧に理想の彼女ではないから?偉そうに今ままで語ってきたのだけど、僕は一つ大事なことにようやく思い至った。

理想なのかどうかは、彼女の容姿・性格・振る舞い・社会的ステータスによって決まるのでなく、「僕の気持ち」で決まるのだということに。

 

少なくとも僕は「びびっときた」人と付き合えた。それはこのご時世、本当に幸せなことだと思う。ただ、結婚について考える時、浅はかではあるが、「もっといい人はいないだろうか」という考えが頭をよぎる。

不誠実と言えば不誠実で、特段誰かにこの気持ちを理解してもらおうとは思わない。むしろ周囲の同年代男性を見渡すと、似たような考えの人が多く、年代特有の思い上がりの激しい思考であると感じる。

これは一重に、「自分にはもっと価値があるに違いない」と無意識的に考えていることの現れであり、その無根拠な自信と、無自覚なプライドが何をもたらしているかと言えば、彼女がいない時には「前向きなモチベーション」という歓迎すべき心理作用であったし、彼女ができてからは「迷いと混乱」でしかなかった。

この状況に折り合いをつけるのは、他でもない自分なのだと気づいた。いや、気づかないフリをしていた。悪いのは、『決断から逃げる弱い僕』だ。

 

それに気づいたのは、他の女性と遊んだ時のことだった。

 

こんなこと彼女には絶対に言えないが、僕は複数回、彼女以外の女性と2人で遊んだことがある。体の関係はなかったが、悪いことに変わりはない。僕は彼女がいるのに、他の女性と2人で遊んでしまう男だった。軽薄であること、女性によっては絶対に許せない振る舞いであることは承知しているが、「このままもう何もないまま結婚して一生を終えるのか?」というひどく幼稚な愚考が、僕にそうすることを許している。

 

幻想の中で僕は、とある女性と付き合ってみたら人生がもっといいものに変わるかもしれない、と考えている。幻想の中の女性は、実際に存在する人で、彼女がいなかったらアタックしていたかも知れない人だ。

 

簡単に言えば、その人のことが気になっているんだろう。彼女よりも素敵な人かも知れない。でも、こればっかりはもう、確かめることができない。今の彼女と別れない限りは。別れたとしても、その子と付き合えるかどうかは分からない。彼女より「より理想的な女性」かどうかは分からない。知るチャンスが、ない。

 

僕はその子と遊んだことはない。その子を遊びに誘うと、浮気が周知のものになるからだ。僕は恥の文化に生きているんだと、痛切に感じた。時には罪を基準に、生きていくべきだと思いながら。

 

そんな足元の覚束ない微かな期待を、確かめる勇気(敢えて勇気と言おう)さえなく、他の女性と遊ぶことでその虚無的とも言える感情に、穴埋めをしているのが今の僕の姿だ。

 

なんてカッコ悪いのだろうと思う。今の彼女を信じ切ることもできず、気になる子へ大胆に舵を切るでもなく、どうでもいい女の子と遊んでいる。それが嘘偽りない僕の姿であり、一人の弱い人間である。自分だけが特別とは思わないが、弱いのは確かだ。

 

この不甲斐なさは、とても人には言えない。言えないからこそ、このブログにしたためることで、わだかまりを発散させようとしている。

 

でも、分かってしまった。これは全て、僕の問題なのだと。この虚無感は、この憂鬱は、誰かが晴らしてくれるものではなかった。目標を失ったのではなかった。目標を信じていなかったのだ。この不安定な地面は、理想の彼女を追い求めていたあの頃と確かに地続きで、僕自身の心の反映でしかなかった。

今までの僕の経験が、頼もしい知見だ思っていた何かが、僕の心を縛っている。

 

「今の彼女、妥協した?」

 

悪魔の囁きだ。反吐がでそうだ。何様なんだろう。そんなことを思ってしまう自分が嫌いだし、明確にそうではないと言い切れない自分がもっと嫌いだ。もういい年なのに、この渇きは何だろう。これは何者にもなれない自分を認めたくない思春期・青年期のメンタリティーではないのか。

 

自分への関心、執着がもたらすものは、両刃の剣だと思う。等身大の自分を超えて何かをなそうとする原動力でもあれば、過ぎた欲求は現実と激しく乖離することの苦しみを加速させる悪魔の装置だ。40歳、不惑。果たして本当にそうなる大人がどれだけいるのか。

 

「君の人生はこんなものだよ」

 

誰かが囁いた。皆が通った、この道。それを認めたら、どうなる?たぶんきっと、そこから始まる人生があるのだ。自分ではない誰かのための。

 

僕は今まさに何者かになれない現実を突き付けられ、身動きが取れなくなっている。客観的に見れば、何も不幸せな状況じゃないのに、余計なことを考えすぎて、大切なものを失いつつある悲しい人間にしか見えないのではなかろうか。

 

これは甘えだ。

決めるのは自分だ。

どうしたら、踏み出せる?

 

今の僕なら、歯を食いしばりながら、「大人の一歩」を踏み出せそうな気がしている。

 

 

・・・

 

 

きっとこういう自分語りの激しい文章が、鼻につく頃が来るのだろうな、と思いながら、終了させていただきます。悩みは尽きないものですね。